バーバラ・クルーガーは、雑誌デザイン、詩、映画・テレビ批評の経験を通じ、写真の意味が文章、書体、配置、流通によって組み立てられる過程を制作の中心に置いた作家。自費出版『Picture/Readings』で建築写真と物語のずれを試した後、雑誌やマニュアルの既製写真に「I」「You」「We」を含む短文を重ね、《I shop therefore I am》《Your body is a battleground》を制作した。ポスター、商品、ビルボード、建築空間へ同じ語法を移し、像が見る者に役割や欲望を割り当てる仕組みを、その流通経路ごと作品化した。
クルーガーは、雑誌の外側に置かれていた見出しとキャプションの働きを画面内へ露出させ、文字を写真の説明から、像を遮り、話者と受け手を作る視覚要素へ変えた。『Picture/Readings』の長い物語から、既製写真と短い代名詞へ移る過程で、社会に流通する写真が性別役割、欲望、権力の言葉をどのように反復するかを、写真そのものの再編集によって問う形式を作った。
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雑誌デザインと詩——像を配置し、声を組み立てる
バーバラ・クルーガーはニューアークで育ち、シラキュース大学を経てニューヨークのパーソンズ美術大学に学んだ。パーソンズでは写真家ダイアン・アーバスと、『Harper’s Bazaar』のアートディレクターでもあったマーヴィン・イズラエルの授業を受けた*1。その後コンデナスト社に入り、『Mademoiselle』のデザイナーとして、写真の選択、トリミング、見出し、書体、ページ順を組み立てた。The Broadの略歴によれば、二十二歳でヘッドデザイナーに昇進し、本人もこの経験を制作への大きな影響として挙げている*2。雑誌の仕事を通じ、一枚の写真の意味が、周囲の文章、余白、書体、掲載位置によって、商品、女性像、成功、欲望の物語へ組み込まれることを知った。
同じ時期、クルーガーは詩を書き、映画やテレビの批評を行い、詩と散文の朗読にも参加していた。National Gallery of Artは、彼女が1969年頃から美術制作と並行して詩、映画評、テレビ評を書いていたと記している*22。雑誌では写真と見出しの位置を組み、文章では語り手、呼びかけ、反語、文の切れ目を扱う。後の作品と詩との接点は、叙情的な表現より、短い発話が誰の声として届くかを操作する点に現れた。初期の織物や縫製による作品に行き詰まりを感じた後、建築写真を撮り始め、バークレーなどで教えていた時期にはヴァルター・ベンヤミン、ロラン・バルトを読んだ。本人は、読書と思考が制作に不可欠になったと後年に語っている*23。その後の作品では、複製された写真を誰の声として読ませるか、掲示場所が言葉にどのような権威を与えるかが具体的な制作課題となった。
『Picture/Readings』から既製写真へ——物語の声を社会の声へ移す
1978年に自費出版した『Picture/Readings』は、後の短い標語へ至る前段階を示す。バークレー、ロサンゼルス、フロリダなどで撮影した住宅や集合住宅の外観に、そこに住む人物の愛情、退屈、欲望、失望を想像する長い散文を組み合わせた。Flash Artの論考は、これらの文章を映画的、小説的、メロドラマ的な物語として捉え、写真と文章が互いを説明する関係に収まらない点を指摘している*24。建物の外側しか写さない写真に対し、文章は室内と心理を作り出す。写真は物語の証拠にならず、文章も写された建築の正解を示さない。両者の隔たりによって、目に見える外観から他人の生活を推測してしまう行為そのものが表面化する。
この仕事の後、クルーガーは自分で撮った建築写真から、雑誌、写真マニュアル、広告にすでに掲載されていた写真へ素材を移した。関心の中心には、写真と言葉が人に「自分は誰か」「何を望むべきか」を教える仕組みがあった。本人も、写真と言葉には人が誰であり、誰であり得ないかを告げる力があると述べている*22。既製写真には、家族、女性、男性、成功、服従といった役割が、構図、衣服、表情、身振りとしてあらかじめ組み込まれている。そこへ別の言葉を重ねると、像が自然に見せていた役割と、文章が新たに与える役割の間にずれが生じる。『Picture/Readings』で長い物語が建物の内部を想像させた構造は、「I」「You」「We」の所属を読む側がその場で決め直す短い発話へ圧縮された。
1970年代末のアメリカでは、テレビ、映画、雑誌、広告が供給する既成イメージが芸術の素材となり、ピクチャーズ世代の作家たちは、イメージが自己認識と世界認識を作る過程を検討した。The Metは、この動向がミニマル・アートとコンセプチュアル・アートの自己批評的な原則を受け継いだと説明している*11。クルーガーはそこへ雑誌制作の経験を持ち込み、既製写真の内容に加え、キャプション、書体、縮尺、掲示場所が人の読み方を方向づけることを作品化した。既製写真を使うことで、検討対象は撮影者の個人的な視点から、社会で反復される図像とその使われ方へ移った。
写真の上に文字を置く——像に埋め込まれた文法を露出させる
雑誌では、写真、見出し、キャプションが分業され、文章が写真の意味を外側から方向づける。クルーガーは文字を顔、目、手、身体の上へ置き、その作用を画面内に露出させた。文字帯は像の一部を覆い、写真を見る動作を中断させる。同時に、書体、太さ、矩形、余白によって文字自体が図形として見えてくる。写真は語順と代名詞を追って読む面へ変わり、文章は視線を遮り方向づける物質となる。初期のペーストアップは、切り抜いた既製写真と文字を小さな原稿上で組み、それをネガ化して拡大する工程で作られた*21。画像と言葉の双方が引用可能な断片となり、その接触面で既成の意味がずれる。
クルーガーの文は標語のように短いが、声の主は安定しない。「I」「You」「We」は、作家の告白、広告主の命令、国家の呼びかけ、恋人の言葉、鑑賞者自身の内語へ移動する。National Gallery of Artは、能動的な動詞と人称代名詞を用いた直接話法を彼女の方法の特徴として挙げ、受動的に見える人物像との緊張を指摘している*25。詩や朗読との接点は、短い発話のリズム、反復、引用句の変形、声に出したときの圧力として現れる。《I shop therefore I am》はデカルトの命題を購買の言葉へ置き換え、「Your body is a battleground」は所有を示す代名詞と政治的対立を一文に重ねる。文の話者と受け手は一つに定まらず、写真との組み合わせによって画面ごとに変化する。
この形式が扱うのは、写真の真偽に加え、像が見る者へ役割を割り当てる文法である。雑誌や広告の写真は、見出し、語り口、掲載媒体によって、見る側を消費者、女性、男性、市民、敵、支持者として位置づける。クルーガーはキャプションの力を写真の上へ移し、像の内容と、読む人に割り当てられる立場を示した。National Gallery of Artが述べる「能動的な視覚的読者」は、作品の命令へ従う読者を意味しない。写真と言葉の不一致を前に、発話の主、受け手、利害を組み直す読者を指している*25。
《I shop therefore I am》——消費批判が商品として流通する
《Untitled (I shop therefore I am)》は、手のひらに置かれた赤い矩形と「I shop therefore I am」という文を結び、存在の根拠を思考から購買へ置き換える。The Broadは、1987年に始まり2019年に再構成された単一チャンネル映像/LEDパネル版を収蔵している*7。MoMA所蔵の1990年版は紙袋に印刷されたフォトリトグラフで、9000部制作された*12。批判の言葉も商品として購入され、持ち運ばれ、反復されるため、消費を扱う作品自身が商品流通の条件に組み込まれる。
広告的な魅力、複製、商品化は、作品が批判する対象であると同時に、その批判を広く流通させる条件でもある。MoMAは、クルーガーの印刷作品が書籍や雑誌の表紙、マッチ箱、マグ、買物袋などへ展開し、大衆媒体から借りた視覚言語を同じ流通経路へ戻したと説明している*12。2022年のMoMA展では、既存作品の再制作と建築的インスタレーションを組み合わせ、同じ言葉を印刷物、映像、壁、床へ移した*4。媒体が変わるたび、文の意味だけでなく、話者の権威と届き方も変化する。
《Your body is a battleground》——顔の分割と政治的な配布
《Untitled (Your body is a battleground)》は、女性の顔をポジとネガに分割し、その中央を文字で遮る。The Broadは、1989年に生殖の自由を支持する女性たちのワシントン行進のために制作され、芸術作品と抗議のイメージを同時に担ったと説明している*6。ポジ/ネガの反転は顔を相反する二つの調子へ分け、中央の「your」は身体をめぐる問題を画面の女性だけに帰属させず、読む者へ直接差し向ける。
この作品は、顔の即時性と、ポスターとして複製・掲示できる公共性を結びつけている。個人の身体をめぐる制度的な判断が、法律、報道、広告、街頭の言葉を通して行われる状況へ、クルーガーは同じ視覚言語で介入した。作品の政治性は主題、縮尺、掲示場所、配布経路の組み合わせによって成立する。
雑誌のコラージュから、壁・床・建築全体へ
1980年代の代表作は、白黒の既製写真に文字帯を重ねた比較的小さなフォトモンタージュとして知られる。ポスター、ビルボード、Tシャツ、バス、雑誌、映像、音声への展開は、鑑賞の条件そのものを変えた。Whitneyは、1990年代以後、写真と文字に映像・音声を加えた大型インスタレーションとパブリックアートが制作の重要部分になったと整理している*1。壁や床を覆う文章の内部を人が歩くと、文字は正面から読むメッセージに加え、移動を方向づけ、視界を占有する環境として働く。
ハーシュホーン美術館の《Belief+Doubt》は、ロビー、エスカレーター周辺、ミュージアムショップへ言葉を延ばし、美術館の通路と商業空間を一続きの作品に変えた*10。シカゴ美術館の大規模展「Thinking of You. I Mean Me. I Mean You.」は年代順の回顧を避け、旧作の再構成、新作の音声・映像、建築への介入によって構成された*8。MoMA版でも、建築を没入環境へ変え、アイデンティティ、欲望、消費、権力の力学を直接話法によって露出させた*4。
《We Will No Longer Be Seen and Not Heard》——連作として読む声
1985年のポートフォリオ《Untitled (We Will No Longer Be Seen and Not Heard)》は、九点の版画を連ね、抑圧される側に割り当てられてきた「見られること」と「沈黙」を組み替える。MoMAの所蔵情報は、オフセット・リトグラフ、スクリーンプリント、コラージュ的な技法を組み合わせた版画ポートフォリオとして記録している*5。九つの画面では、一人称複数の文と異なる既製写真が反復され、同じ「We」の指示対象が画面ごとに変わる。
この作品は、クルーガーの方法が「写真に短いコピーを載せるデザイン」に還元できないことを示す。反復、ページ、順序、印刷部数によって、言葉は一枚の作品の所有者から離れて流通する。写真集、版画、雑誌、公共空間は、それぞれ異なる速度と観客を生む媒体であり、クルーガーは同じ語法を用いながら、媒体ごとの読まれ方を変えてきた。
撮影から編集・流通へ——写真史上の位置
クルーガーは、撮影後の選択、切り取り、言葉、複製、掲示までを制作の中心へ置いた。既製写真によって、社会で反復される像がどのように権威を得るかを扱った*11。『Picture/Readings』の建築写真と長い物語、1980年代の短文とフォトモンタージュ、後年の建築的インスタレーションには、像の意味が文章、媒体、場所によって更新されるという共通の問題がある。
文字帯は写真の一部を覆い、像との食い違いによって文の断定を一義的に読めなくする。作品がポスター、商品、ミュージアムショップ、公共空間、デジタル画面へ移るたび、同じ文の口調と権威も変わる。初期のペーストアップから建築的インスタレーションまで、画像と言葉の意味は制作工程と掲示場所によって組み替えられてきた*21。写真史の焦点は、撮影時の作者の視点に加え、既存の像を再利用する編集、文章、掲示場所、流通経路へ広がった。
商品流通の内部で働く批評——作品の自己批評性
クルーガーの自己批評性は、批評の言葉もメディア、美術制度、商品流通の内部で働くことを作品に組み込む点にある。《I shop therefore I am》は消費を批判する文を紙袋に印刷し、九千部の商品として流通させた*12。《Your body is a battleground》は美術館の所蔵品となる一方、街頭へ配布できる政治的ポスターとして制作された。明快な文、反復可能な形式、識別しやすい書体は批判を広く届け、その批判自体を商品や記号へ変える条件にもなる。
近年の大規模展では、旧作が映像、LED、床、壁、音声として再構成され、文言の作用が技術と場所に応じて変化する。ミュージアムショップや通路まで広がる《Belief+Doubt》は、鑑賞、購買、移動が同じ制度の中で連続する環境を作った*10。像と言葉による分類や呼びかけは作品の主題であり、その作品もまた、美術館、商品、公共空間を通じて人へ届く。
- シンディ・シャーマン ― 自ら演じた写真によって、女性像がメディアの類型から作られる過程を示した同世代の作家
- ダイアン・アーバス ― パーソンズでクルーガーを教え、人物を見ることと見られることの緊張を写真へ持ち込んだ写真家
- シェリー・レヴィーン ― 既存作品の再撮影を通じて、作者性、所有、オリジナリティを問い直したピクチャーズ世代の作家
- ジェニー・ホルツァー ― 公共空間と電子表示へ短い文章を流通させ、言語そのものを作品化した同時代の作家
- ピクチャーズ世代 ― 既存イメージが自己像と世界像を作る仕組みを、引用、演出、再配置によって検討した潮流
- コンセプチュアルアート ― 物体の唯一性より、言語、制度、提示条件を作品の中心に置いた背景
- フェミニズム写真 ― 女性の身体が広告、報道、制度の中でどう語られるかを問い直す接点
初期の写真と言葉から建築的インスタレーションまでを、作家自身による再編集と複数の論考で検討した大規模展図録。
David Zwirner で見る ↗1980年代までの制作と言語戦略を同時代の批評から読む初期の主要モノグラフ。
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