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PHOTOGRAPHERS/NAOYA HATAKEYAMA ·日本写真 ·UPDATED 2026.07
NH
§ 147 — Photographer Index — 日本写真

畠山直哉

Naoya Hatakeyama 1990s / 1990年代
Country日本 Period1990–2000s Channelイメージを疑う · CONCEPTUAL
Abstract

畠山直哉は、東京で学生時代の構図が通用しなくなった経験から、故郷のセメント工場と石灰石鉱山へ戻り、都市を地表の外観から、その原料と空洞まで遡って捉えた。《Lime Hills》《Lime Works》は採掘、加工、建設を大判カラーでつなぎ、《Blast》は発破技術者と遠隔装置によって岩が都市資源へ変わる瞬間を記録する。空撮、川、地下、震災後の陸前高田へ調査を広げ、ニュー・トポグラフィックスが示した人工景観に、資源の移動、産業労働、災害後の時間を加えた。

この写真家が変えたこと

ニュー・トポグラフィックスが人工景観の表面を写真史の主題にした後、畠山は石灰石が山から工場、都市へ移り、地下に空洞を残す前後関係を連作で示した。採掘面の細部には大判カラー、爆発の数秒には小型連写カメラ、都市と鉱山の照応には空撮、震災後の変化には反復撮影を選ぶ。被写体ごとに装置と時間尺度を変え、風景写真を完成した眺めの記述から、場所を作る工程、労働、消費者の責任、災害後の変化を追う長期調査として位置づけ直した

Keywords Lime Hills Blast 都市と採石 地下空間 陸前高田 風景写真
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

陸前高田のセメント工場と大辻清司――外界と媒体を同時に考える

畠山直哉は岩手県陸前高田市に生まれ、岩や金属の硬さへ早くから関心を持った*4。高校時代に初めてキャンバスへ描いた題材は、通学路にあったセメント工場だった。1979年に筑波大学芸術専門学群へ進み、大辻清司の授業で写真へ向かった。SFMOMAの講演で畠山は、この工場への関心と大辻との出会いを、自身の制作の出発点として語っている*1

大辻の教育は、構図や印画技術に加え、写真を20世紀美術、複製、レディメイド、物質、言語の問題へ接続するものだった。畠山が学んだ1980年代の批評では、写真固有の性質を追究するモダニズムが重視され、「文学的写真」「絵画的写真」は媒体への自己批評を欠く表現として退けられていた*6。この環境が、画面を明晰に組み立て、写真が外界をどう変換するかを検討する姿勢を育てた。畠山は後年、形式主義が限界へ達した後、荒木経惟、ナン・ゴールディン、ラリー・クラークらが被写体の直接的な力を写真へ戻したと論じている*6。彼の制作は、媒体の自己検証と、社会に存在する場所への関心を一つの連作へ収める方向へ進んだ。

フリードランダー、ニュー・ランドスケープ、ニューカラー――日常風景を撮る許可

畠山が写真を学んだ時期、日本にはリー・フリードランダーをはじめ、1970年代アメリカのドキュメンタリー、ニュー・ランドスケープ、ニューカラー、新しい写真批評が紹介されていた。大辻の最初の講義でもフリードランダーが扱われ、名所や事件を探さず、身の回りの風景を確信をもって撮る態度が若い世代へ強い刺激を与えたと畠山は述べている*1。この流入は、日常の人工景観を分析し、平凡な場所が写真によって別の注意を獲得することを示した。

学生時代の畠山は、広い空間の中に建物や樹木を単純な形として置く写真を撮っていた。卒業後に暮らした東京では、看板、建物、交通、電線が視界を細かく分断し、それまでの構図が成立しなかった。彼は東京で新しい都市写真をただちに作る代わりに、広い場所を求めて故郷へ戻り、セメント工場を再訪した*1。この行き詰まりが、人工景観の外観を撮るだけでなく、東京を作る物質の出発点へ向かう契機となった。

東京で撮れなくなった経験が、採石場を都市研究へ変えた

セメント工場の職員に案内されて石灰石鉱山を見たことが、《Lime Hills》へ続く直接の出発点となった。畠山は石灰石鉱業協会の協力を得て、北海道から沖縄まで約八年間にわたり鉱山と工場を訪れ、その過程で大型カメラによる建築撮影を身につけた*1。東京の複雑な街路を一枚へ整理する方法を探す代わりに、都市の形を生む採掘、加工、輸送を離れた場所から調査する道を選んだ。

飛行機から東京を見たとき、建物が密集する表面は鉱山の岩肌に似て見えた。石灰石はセメントとコンクリートへ加工され、道路、住宅、ダム、オフィス街に蓄積する。畠山は山の欠損と都市の体積を同じ物質の移動として結び、採石場を地方の産業景観、東京を消費の中心という別々の題材から、一つの都市化の過程へ変えた*1。この発想は、戦後日本のコンクリート建設と1980年代以後の再開発を、都市の外部にある採掘地まで含めて捉えるものだった。

§ 02 / 04 表現の核心

鉱山労働者の不信――環境告発の構図を疑う

畠山は鉱山を撮影するなかで、採石場を自然破壊の象徴として報道する写真に対する労働者の不信を聞いた。切断された山は強い告発の像になるが、石灰石を道路や建物として消費する都市生活は画面外へ退く。畠山は採掘企業だけへ責任を集める構図を採らず、都市に暮らす自分自身を含む消費の連鎖へ視点を戻した*1

この経験は、彼の自然観も変えた。畠山は、人間が生活する環境としての自然と、美しい眺めとして消費される自然を区別し、美の感覚そのものが文学や美術の歴史によって作られていると述べる*1。採石場を一枚の傷として提示すると、鑑賞者は都市生活との関係を忘れたまま憤ることができる。そこで彼は、鉱山、工場、都市、地下を長期連作としてつなぎ、資源を使う側の位置まで画面の意味へ組み込んだ。

大判カラーと全国調査――一つの傷を産業の仕組みへ戻す

大判カラーは、採掘面の地層、重機、作業道路、削られた岩の輪郭を同時に記録できる。畠山は約八年の全国調査中に建築写真の技術を身につけ、鉱山を採掘が継続する作業空間として撮った*1。明晰な画面は、環境破壊という即断の外側にある設備、労働、地質、規模を残すための形式だった。

全国の鉱山を反復して撮ることで、一つの採石場を例外的な悲劇として扱う視点も修正される。地形、機械、採掘方法、周囲の植生には差があり、その差を保ったまま、各地の石灰石が都市建設へ送られる共通の仕組みが見える。長期連作は、場所ごとの具体性と全国的な産業構造を同時に示すために選ばれた。

《Blast》――安全な観察者の位置を崩す遠隔操作

鉱山の発破を望遠レンズで遠方から撮ると、安全な観察者と危険な現場の距離がそのまま写真へ刻まれる。畠山は岩が砕けて落ちる仕組みを近くから確かめようとした。大型カメラでは高速シャッターと連写に対応できず、一度の発破で一枚しか得られないため、小型カメラ、モータードライブ、FM無線の遠隔装置を選んだ*1

カメラの位置は、岩盤、爆薬、落石の方向を熟知する発破技術者の助言で決められた。技術者は二千トンの岩がどう崩れるかを予測し、機材が破壊されにくい場所を示した*1。《Blast》は、採掘現場の知識、無線信号、連写機構、爆薬、岩石が共同して作る像である。風景写真の視点は遠方の眺望から、物質が状態を変える接触面へ移った。

空撮、川、地下――物質の移動に合わせて視点を変える

畠山は一つの視点を作家の様式として守らず、調べる過程に応じて撮影位置を変えた。空撮は鉱山の岩肌と都市の密集を同じ尺度で比較し、川沿いの撮影は建物とその下を流れる水を上下に結ぶ。下水道と地下採石場の撮影は、地上の都市が排水を送り、建材を取り出した後に残す空洞を示す*13。遠景、地表、水面、地下という移動は、物質の経路を追うために必要だった。

展覧会では会場模型を作り、プリントの大きさ、壁面の間隔、シリーズ間の移動を検討する*5。鑑賞者は地上、地下、遠景、爆発の間を歩き、離れた撮影地を一つの社会的な過程として理解する。展示設計は、都市の断面を身体の移動で追跡させる方法である。

光と感光材――写真媒体の内部にも自然がある

畠山はフォックス・タルボットの「自然の鉛筆」を参照し、自然の範囲をレンズの前の山や植物から、光、感光材、化学反応、偶然が働く写真媒体の内部まで広げている*1。《A Bird / Blast》では、発破の瞬間に鳥がフレームへ入り、爆薬と岩石の計画された運動へ予測外の生命が重なった。

この考えは、撮影技術を自然の外側にある支配装置として扱う発想を修正する。写真家が構図、露光、設置位置を決めても、光、感光材、鳥、粉塵、岩の崩れ方が像へ独自の結果を加える。畠山の明晰な画面は、人間の計画と物質の応答が接触した痕跡を観察するためにある。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《Lime Hills》《Lime Works》《Blast》――三つの時間尺度で石灰石を見る

《Lime Hills》は1986年から日本各地の石灰石鉱山を撮影し、階段状の採掘面、作業道路、重機、周囲の山並みを大判カラーへ収めた。画面では白い岩肌が大きな面を作り、重機と道路がその規模を測る手がかりとなる。採石場は一枚の象徴的な傷として切り取られず、地質、作業工程、植生が同じ視野に置かれる。

《Lime Works》は視点を工場へ移し、石灰石が砕かれ、運ばれ、セメントへ加工される設備を撮影する*8。写真集と展示で鉱山と工場を接続することで、白い岩の断面と都市のコンクリート外壁が、同じ物質の異なる状態として見える。大判写真の静止した画面は、完成した景観を示すと同時に、その背後で続く日々の採掘と加工を想像させる。

《Blast》は1995年に始まり、爆破前の岩壁、膨張、粉塵、落石を連続コマへ分解した。単独の一枚では劇的な爆発として消費される場面が、複数コマでは岩が都市資源へ変わる工程として示される*11。《Lime Hills》では地層と採掘面を一枚の静止画で凝視させ、《Lime Works》ではベルトコンベヤーや炉が反復する工場の時間を示す。《Blast》の連続コマは数秒の破砕を分解する。三つのシリーズを並べることで、同じ石灰石が地質、産業、爆発という異なる時間尺度に置かれる。

《River Series》《Underground》《Ciel Tombé》――都市の下部構造

《River Series》は建物とその下を流れる水面を縦の軸で結び、地上の外観へ水路の存在を加える。《Underground》は下水道へ人工照明を持ち込み、管、壁、水、反射を正方形のカラー画面へ収めた。SFMOMA所蔵の《Underground #7109》では、奥へ続く暗い管路と水面の光が、都市の内部を建築空間として見せる*2

《Ciel Tombé》はパリの地下採石場と補強構造を撮影する。地上の石造都市は地下から切り出された石で作られ、下には材料の移動によって生じた空洞が残る*13。三つの連作は都市の下部を神秘的な別世界として扱わず、排水、採掘、補強という地上生活の物理的な条件として示す。

《Natural Stories》《Rikuzentakata》《Tsunami Trees》――災害後の時間

2011年の東日本大震災と津波は、畠山の故郷・陸前高田を壊滅させ、母を含む大きな個人的喪失をもたらした。撮影は新聞社、美術館、ギャラリーの依頼に先立って始まり、発表先を決めずに続けられた。畠山は、作品として評価される段階を待たず、写真が沈黙や居心地の悪さを生む状態も引き受けたと語っている*16

東京都写真美術館の「Natural Stories」は、石灰石、石炭、工場、鉱山、陸前高田を、人間と自然が長い時間をかけて作用し合う作品群として構成した*17。SFMOMAへの巡回では、震災前の採石と都市のシリーズも、人間の建設力と自然の変化を考える制作史として読み直された*3

《Rikuzentakata》は大量の写真を日付順のスライドショーとして提示し、瓦礫、盛土、道路、植物、住宅が変化する速度を連続させる。《Tsunami Trees》は津波で傷つきながら成長を続ける木々を撮り、災害の瞬間から、植物、工事、記憶が別々の速度で進む年月へ焦点を移した*12。ここでは反復撮影が、復興を一直線の回復物語へまとめず、土地に同時進行する複数の時間を残す。

§ 04 / 04 批評と写真史上の位置

ニュー・トポグラフィックス以後――景観の表面から物質の前後へ

1975年の「ニュー・トポグラフィックス」は、崇高な自然景観に代えて、工業地帯、造成地、郊外住宅など人為的に変えられた土地を抑制された画面で提示した*18。畠山はニュー・ランドスケープとニューカラーから、平凡な人工景観を確信をもって撮る態度を学んだ*1。その影響は大判カラーの明晰さに現れるが、彼の連作は見えている地表の記述から、景観を作る資源と工程へ対象を移した。

ベッヒャー夫妻は産業施設を類型として比較し、ルイス・ボルツは開発地の平坦な表面を分析した。畠山は鉱山、工場、空撮都市、川、地下、爆発をつなぎ、同じ物質が採掘前、加工中、建設後、地下の欠損という異なる状態を通ることを示す。大判、遠隔連写、空撮、地下撮影は、各工程に適した距離と時間を得るために使い分けられた。ニュー・トポグラフィックス以後の分析的風景写真へ、物質の移動、産業労働、撮影技術の選択を加えた点に畠山の位置がある。

資本主義的な空間生産と「創造的破壊」

畠山自身は鉱山を単純な環境悪として提示する態度を避け、都市生活者を含む資源消費の連鎖を強調した。その姿勢に対し、近年の批評は、作品が資本主義的な都市形成をどこまで可視化するかを問う。Piekalkiewiczは、石灰石の採掘、コンクリート製造、高層建築を一続きの空間生産として捉え、《Blast》に建設の前提となる破壊の力を見ている*14

この解釈は、大判写真の形式的な美しさへ政治性を追加する作業に見えるが、作品内部にもその緊張が存在する。精密な採掘面は美術館で美しい抽象形態として受容される一方、都市の建材という用途を持つ。畠山は結論を画面へ書き込む代わりに、鉱山と都市を同じ展示へ置き、鑑賞者が自らの生活と採掘地の距離を具体的に確認できる構造を作った。

2011年以後、言葉が風景写真へ加わる

震災後の作品は、以前の風景研究私的記録を加えながら、「風景」という言葉の前提そのものを変えた。SFMOMAの講演で畠山は、虹の下にかつて自宅があったと伝えた瞬間、同じ写真の印象が変わる例を挙げ、土地の記憶と言葉を排除して純粋な風景として見る態度にも思想が含まれると論じている*15

この問題は、災害写真の公共性にも関わる。陸前高田の像は作家の個人史を含みながら、美術館では被災地、復興政策、土地利用、喪の表象として共有される*9。畠山は撮影の宛先を開いたまま、日付と場所を伴う写真を蓄積した*16。作品の内部では、個人的な記憶と公共的な記録が同じ土地で交差する*10

風景を、資源・技術・記憶が動く時間へ変えた位置

畠山は、山、工場、都市、地下、災害後の土地を別々の主題として蓄積せず、場所を変える物質と時間の連続として扱った。石灰石が山から都市へ移る年月、発破で岩が崩れる数秒、陸前高田の地表が復興工事と植物によって変わる十年以上を、異なる撮影装置で記録する。風景写真の時間は露光の一瞬から、産業と災害が土地を作り変える長い過程へ拡張された。

ニュー・トポグラフィックスが人工景観を可視化し、ベッヒャー夫妻が産業構造を類型化した後、畠山は景観の前史と後史を連作へ導入した。田中純が「鉱物的都市写真」と呼んだ仕事は、都市を地理的な表面から、地質、採掘、化学、建設が重なる秩序へ拡張する*7。写真が外部世界を確かに記録しながら、見る者の知識と時間によって意味を変えるという本人の考えが、長期連作、展示模型、日付順スライドショーを支えている*1

畠山以後――風景写真を建築・資源・記憶の調査として扱う

畠山の歴史的な「以後」は、風景写真を長期調査として運用する方法に現れる。大判カラーの外観は、その方法を支える一要素である。彼は鉱山、工場、都市、川、地下、災害後の土地を数十年にわたって調べ、撮影装置、写真集、会場模型、スライドショー、講演を組み合わせて、離れた場所と時間を一つの問題として提示した。 『The New Yorker』も、採石場から都市、震災後の陸前高田までを、都市が建設され破壊される過程を追う仕事として紹介している*20

カナダ建築センター(CCA)は2023年の「The Lives of Documents—Photography as Project」で、畠山を1970年代以後の作家たちと並べ、写真を美術作品、研究道具、文書の間にある媒体として扱った。同展は、写真が建築環境を形作る仕組みを調査し、可視世界を作る制度や工程を解釈する手段となることを主題にしている*19。この位置づけは、畠山の鉱山、都市、地下の連作が、風景の鑑賞に加え、建築とインフラを調べる写真プロジェクトとして受容されていることを示す。

「Natural Stories」以後の批評は、作品をアントロポセン、資本主義的な空間生産、創造的破壊、災害記憶の文脈へ置いてきた*14。後続写真家への直接影響を個別に断定する資料は限られる。確認できるのは、畠山の仕事が風景写真の範囲を越え、建築、インフラ、資源政治、災害後の土地を写真で調べる際の基準点として再配置され続けていることである。

§ REL 関連する写真家・運動
Photographers
  • ホンマタカシ ― 都市、建築、郊外を、写真集と撮影装置の働きから考える同時代作家
  • 大辻清司 ― 筑波大学で写真、レディメイド、物質性を教えた畠山の師
  • ベルント、ヒラ・ベッヒャー ― 産業構造を類型として記録した比較対象
  • ルイス・ボルツ、ロバート・アダムス ― 人工化された風景を扱うニュー・トポグラフィックスの比較軸
Movements / Contexts
  • 日本写真 ― 1980年代以後の風景、都市、写真美術館制度を考える文脈
  • ニュー・トポグラフィックス ― 人工化された日常風景を抑制して撮る先行する潮流
  • 産業景観写真 ― 鉱山、工場、インフラを社会と自然の接点として扱う領域
  • 震災後の写真 ― 被災の瞬間、復興、土地の記憶を長期的な時間として記録する実践
§ REF さらに読む
LIME WORKS
畠山直哉 / 1996年

石灰石鉱山、セメント工場、都市を、山から建築へ移動する物質の連鎖として示した基幹写真集。

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陸前高田
畠山直哉 / 河出書房新社 / 2015年

震災後の故郷へ反復して通い、破壊の瞬間から復興過程までを長期的に記録した写真集。

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§ SRC 出典