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PHOTOGRAPHERS/YASUMASA MORIMURA·セルフポートレート · APPROPRIATION·UPDATED 2026.06
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§ 134 — Photographer Index — セルフポートレート

森村泰昌

Yasumasa Morimura 1951–
Country日本MovementアプロプリエーションPeriod1980 — 1990sChannelSelf-portrait
Abstract

森村泰昌は、名画や映画スターや歴史写真へ自らの身体を入り込ませ、写真を「似せる」ための再現から、イメージの権威、ジェンダー、人種、戦後日本の記憶を演じ直す場へ変えた作家。変装、セット、引用、違和感を通じて、見る側が歴史や自己をどのように信じているのかを問いなおす。

この写真家が変えたこと

森村泰昌が写真に持ち込んだ変化は、セルフポートレートを「作家の素顔を見せる写真」から、すでに美術史、映画、報道写真の中で価値づけられてきた人物像を自分の身体で演じ直す形式へ移した点にある。森村自身は、戦後日本の美術教育が欧米の価値観を中心に組み立てられ、学校では日本美術史よりもゴッホ、モネ、ルノワールを学ぶ機会が多かったと述べている*27。この背景があるため、ゴッホやマネを演じることは、西洋美術への単純な憧れでも、外側からの否定でもない。図版や教育を通して与えられた「見るべき美術」の中へ、日本人男性である自分の顔と身体を入れることで、同化したい気持ちと、そこに入りきれない違和感を同じ画面に置く方法だった。森村は、自画像が鏡から写真、映画、テレビ、インターネットへと移るメディアの歴史と結びつくと考え、セルフポートレートを内面の告白ではなく、時代ごとのイメージが「私」をどのように作るのかを調べる形式として使った*20。Getty Museumの再演写真展テキストが示すように、森村の再演はジェンダー、人種、文化的アイデンティティを浮かび上がらせる方法でもあった*8

Keywords セルフポートレート アプロプリエーション ステージド写真 再演 美術史 ジェンダー 戦後日本
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04背景と時代

森村泰昌の方法は、1985年の《Portrait (Van Gogh)》から始まる。ShugoArtsは、この作品以後、森村が「何か」または「誰か」に扮するセルフポートレートを一貫して続け、調査、ディオラマ、セット、衣装、メイクを制作に組み込んできたと整理している*1。この形式の背景には、森村が育った戦後日本の美術教育と視覚文化がある。森村は講演で、日本では明治以降に美術教育が西洋化し、敗戦後にはさらに欧米の価値観へ深く組み込まれたため、学生時代に学んだのは主にゴッホ、モネ、ルノワールで、日本美術史に触れる機会は少なかったと述べている*27。Hara Museumも、森村が連合国占領下の大阪に生まれ、戦前の教えが退けられた空白に西洋的価値観が入り込んだ時代に教育を受けたことを、「Ego Obscura」の重要な背景として説明している*7。そうした歴史的背景があるとはいえ、1985年の出発点は、最初から整った美術史批判として現れたわけではない。森村は2016年のインタビューで、当時は西洋美術史を十分に知っていたわけではなく、ゴッホも複製図版や「炎の人」という通俗的な人物像を通して受け取っていたと語っている*20。別のインタビューでは、若い頃の苦悩するゴッホを、居心地の悪さを抱えて生きる自分と重ね、ゴッホの自画像を見て鏡の中の自分を見たように感じたと説明している*22。この経験が、自己を直接写すのではなく、すでに知っている他者の像を通って自己を見るという森村の形式につながっていく。ARTLOGUEのインタビューでも、森村は1985年の作品について、いきなりカラーの大型セルフポートレートが現れ、それが現在のスタイルの始まりだったと振り返っている*21。国立国際美術館の展覧会解説では、《Portrait (Van Gogh)》が1985年の京都、ギャラリー16で発表され、森村のセルフポートレートを美術史へ向けて開いた初期の重要作として位置づけられている*2。1988年にはヴェネチア・ビエンナーレのAperto部門に参加し、マネの《オランピア》をもとにした《Portrait (Futago)》によって、西洋美術のよく知られた名画と日本人男性の身体を同じ画面でぶつけた*4。この時期、欧米ではピクチャーズ世代の作家たちが広告、映画、既存写真を使い、写真が現実をそのまま伝えるのではなく、社会の中で共有された型を作るメディアであることを問題にしていた*23。森村はその動きを日本でそのまま反復したのではなく、複製図版として受け取った西洋美術、ハリウッド映画、報道写真の人物像を、衣装、化粧、セット、演技によって自分の身体へ移し替える方法を組み立てた。Hara Museumの回顧展解説は、彼が絵画、映画、歴史的瞬間を再演し、時間、人種、ジェンダーを横断するメタ・コメントとして作品を構成してきたと説明している*7。そのため森村の写真は、略歴として「名画に扮した作家」とまとめるだけでは足りない。むしろ、戦後日本の文化が西洋美術やハリウッド映画や報道写真をどのように受け取り、それを自分の身体で演じ直すとき、写真の中で何がずれるのかを示した作家として読む必要がある。

§ 02 / 04表現の核心

身体を引用の場にする

森村のセルフポートレートは、素顔を隠すための変装ではなく、図版、映画、報道写真を通して覚えた顔やポーズを、自分の身体で組み立て直す作業である。ShugoArtsは、森村の制作を、綿密な調査、ディオラマやセットの制作、衣装、メイクを伴うセルフポートレートとして説明している*1。ここで写真は、完成した変装を記録するだけの媒体ではない。写真は、身体、衣装、化粧、背景、照明、プリントを一つの画面へ固定し、元になった画像と森村自身の身体とのずれを見せる。完全に似てしまえば複製に近づき、似ていなければ引用として成立しにくい。森村の写真は、その中間にある違和感を残すことで、名画や映画や歴史写真がどれほど見慣れた型として記憶されているかを示す。つまりセルフポートレートは、作家本人の内面を直接見せる形式ではなく、すでに共有された人物像を身体で読み直す形式へ変わる。

《Portrait (Van Gogh)》と、名画への入り込み

Portrait (Van Gogh)》は、森村の方法をもっとも端的に示す初期作の一つである。国立国際美術館の所蔵情報は、この作品を1985年の写真作品として登録し、森村の初期セルフポートレートの具体的な出発点を確認できる資料になっている*3。ここで扱われているのは、実在したゴッホそのものではなく、画集、展覧会、複製図版、解説文を通して広く共有されたゴッホ像である。森村は後年、制作当時の自分がゴッホを十分に知っていたわけではなく、図版と「炎の人」という言葉で記憶していたことを語っている*20。その一方で、ゴッホの自画像を見たとき、鏡に映った自分を見たように感じたとも述べている*22。だから《Portrait (Van Gogh)》は、ゴッホを正確に再現する作品というより、森村が受け取っていた「ゴッホらしさ」を自分の顔と身体へ移し、芸術家像がどのような知識や物語によって信じられてきたのかを表面に出す作品である。そこでは、自己の真正性を証明する写真ではなく、他者の顔を経由して自己を考える写真が始まっている。

《Portrait (Futago)》と、名画を見る前提

Portrait (Futago)》では、森村の方法が美術史、性、人種の問題へはっきり向かう。森美術館の作品解説は、この作品をマネの《オランピア》にもとづくものとして説明し、森村が「白人の娼婦」と「黒人の召使」という二つの役を、日本人男性の身体によって演じている点を指摘している*4。マネの《オランピア》を知っている鑑賞者は、裸体の女性、召使い、正面を向く視線、肌の色の差を、美術史の知識とともに読む。そこへ日本人男性である森村が二つの役を同時に演じて現れると、名画の中で自然に見えていた役割分担が急に落ち着かなくなる。これはマネを単純に批判するための置き換えではなく、名画を見ている側が、どのような知識や視線の癖を持ち込んでいるのかを画面上で露出させる方法である。SFMOMAの所蔵情報は、この作品を1988年のクロモジェニック・プリントとして公開しており、森村の作品が写真作品として国際的なコレクションに収蔵されていることも確認できる*5。その意味で《Portrait (Futago)》は、マネのパロディというより、名画を見るための前提を一人の身体の中で組み替える作品として読める。

女優、カーロ、歴史写真へ広がる「私」

森村のセルフポートレートは、西洋絵画だけに向けられたものではない。国立国際美術館の回顧展解説は、彼が名画の主人公に扮するだけでなく、映画女優や歴史上の人物にも変身してきたことを、森村の「私の美術史」として整理している*2。NGVが所蔵する《An inner dialogue with Frida Kahlo (Flower wreath and tears)》は、フリーダ・カーロという近代美術の象徴的な自己像を、森村自身の身体を通して再構成した作品である*6。ここで「私」は、作家個人の内面に閉じるものではなく、他者の顔、他者の衣装、他者の痛み、他者の神話を通って立ち上がる。森村の写真が強いのは、変装の対象を尊敬や風刺のどちらか一方に固定しないところにある。彼は対象を奪うだけでも、完全に同化するだけでもない。対象と自分とのあいだにある距離を残し、その距離の中で、ジェンダー、国籍、文化的記憶がどれほど安定しないものかを見せている。

再演写真と、完全には一致しない似姿

Getty Museumの「Photo Reenactment」展テキストは、森村が1980年代初頭以降、有名な絵画を再演し、自らをその中へ配役してきたことを説明している*8。同テキストはさらに、森村の作品が元画像を単に再現するのではなく、オマージュ、風刺、時代錯誤的な要素を含みながら、ジェンダー、人種、文化的アイデンティティの問題を浮かび上がらせると述べている*8。この説明が示す通り、森村の再演は、元画像へ忠実に戻るための方法ではない。むしろ、元画像が持つ権威が、どの時代の、どの身体によって、どのような演技として維持されてきたのかを確かめる方法である。再演写真は「過去を現在に戻す」表現に見えるが、森村の場合、過去はそのまま戻ってこない。顔の質感、身体の位置、衣装の過剰さ、セットの人工性が、画面のどこかに不一致として残る。その不一致が、美術史で中心に置かれてきた画像の背後にある役割分担や欲望を見えるようにする。

戦後日本の西洋受容と、自己像の位置

森村の仕事は、西洋美術史を外側から眺めるだけでは成立しない。そこには、戦後日本の中で欧米文化を学び、親しみ、同時に距離を感じてきた経験がある。本人は講演で、戦後の日本では米国の占領のもとで生活様式や政治思想だけでなく食習慣や美術教育にまで西洋化が及び、学校では日本画や日本美術史よりも油彩画と西洋美術が「美術」の標準として与えられたと述べている*27。ShugoArtsの「My Chronicle 1985–2018」展解説も、森村が昭和と二十世紀に生まれた自己の由来を扱う作家であり、日本が明治以降に西洋文明の影響を受け、敗戦後にアメリカ文化の影響を強く受けたことを作品の背景に置いている*16。こうした文脈で見ると、森村がゴッホやマネやベラスケスに扮する行為は、単に西洋美術へ近づくことではない。幼い頃から「美術」として受け取った西洋の像に自分の身体を入れ、その像へ親しんできた自分と、その像の中で異物として見える自分を同時に写す方法である。森村は同じ講演で、自分のセルフポートレートは日本的な顔と身体を持つ自分が西洋美術史上の人物に扮することで、日本と西洋という二つの要素を同じ空間に置き、それぞれの差異を完全には混ぜないまま保つものだと説明している*27。Artizon Museumの「Jam Session」展が青木繁《海の幸》などの日本近代美術を森村の方法で読み替えたように、この問いは西洋美術だけで完結せず、日本の近代美術や美術館コレクションにも向けられている*9。森村の写真は、東西の対立を単純に並べるのではなく、戦後日本の中で欧米文化を身近なものとして受け取りながら、その像の内側に自分の身体を置いたときに生じるずれを見せる形式だった。

場所、即興、制作過程としてのセルフポートレート

森村のセルフポートレートは、完成された名画の再制作だけでできているわけではない。ShugoArtsの「My Chronicle 1985–2018」展解説は、初期のポラロイド風のオンサイト作品から、美術史シリーズ、女優シリーズへ至る流れを、森村の制作の軌跡として紹介している*16。ここで重要なのは、セルフポートレートがスタジオの中だけで完結するものではなく、場所、旅、展示、記録、制作過程を含む広い形式として展開している点である。森村にとって「私」は、固定された主体ではなく、場所や画像や歴史の前で何度も作り直される仮の位置である。だから彼の写真では、作家本人の顔が何度も現れるにもかかわらず、作者の同一性は強まらない。むしろ、同じ顔が別の役割へ入り続けることで、自己とは一つの核ではなく、引用と演技の積み重なりとして現れる。

§ 03 / 04代表作・方法・媒体

《Portrait (Van Gogh)》1985年

Portrait (Van Gogh)》は、森村が西洋美術史の中へ自分の身体を差し込む方法を明確にした初期作である。国立国際美術館の所蔵情報では、同作は1985年の写真作品として登録され、Cプリントとオフセット印刷を用いた作品として確認できる*3。この作品は、名画を「写真で再現する」試みであると同時に、画家の自画像という形式を写真家自身の演技へ変換する試みでもある。絵画の自画像では、画家は自分を描く主体であり、描かれる対象でもある。森村の場合、その二重性にさらに、別人へ扮する演技、写真として固定される記録性、鑑賞者の既視感が重なる。

《Portrait (Futago)》1988、1989年

Portrait (Futago)》は、森村の美術史への介入が、もっとも鋭く表れた代表作の一つである。森美術館は、同作を1989年の作品として所蔵し、マネの《オランピア》をもとに、森村が画面の二つの役を演じた作品として解説している*4。一方、SFMOMAの所蔵ページでは、1988年の《Portrait (Futago)》がクロモジェニック・プリントとして登録されており、同じ主題が複数のヴァージョンや所蔵を通じて国際的に流通していることが確認できる*5。この作品では、画面の中で誰が見られるのか、誰が奉仕する役に置かれるのか、誰が美術史の主体として扱われるのかが、一人の身体の中で重ねられる。森村の写真が「変装写真」にとどまらないのは、こうした役割の重なりが、見る側の位置まで不安定にするからである。

《An inner dialogue with Frida Kahlo》2001年

An inner dialogue with Frida Kahlo (Flower wreath and tears)》は、森村のセルフポートレートが、西洋名画だけでなく、近代の女性作家像や痛みの表象へ広がったことを示す作品である。国立国際美術館の回顧展解説は、「私の中のフリーダ(花輪)」シリーズを、フリーダ・カーロの人生の愛と死を森村独自の視点で祝祭的に作り上げた作品群として紹介している*2。NGVの所蔵情報も、同作を2001年のカラー写真作品として公開しており、森村のカーロへの変身が国際的なコレクションの中で受容されていることを確認できる*6。ここで森村は、カーロの痛みや自己像をそのまま借りるのではなく、カーロという強い作家像を自分の身体へ通し、他者の顔をまとったときに「私」がどのように増え、どのように揺れるのかを示している。

写真から、映像、パフォーマンス、美術館へ

森村の方法は、単体の写真作品だけでなく、映像、パフォーマンス、展覧会構成、美術館との対話へ広がっている。京都市京セラ美術館の「ワタシの迷宮劇場」展は、森村をセルフポートレート表現の先駆者として紹介し、名画、歴史上の人物、映画女優への変身を通じて、ジェンダーや人種を含む複数のアイデンティティを可視化したと説明している*10。Hara Museumの「Ego Obscura」展は、写真だけでなく、映像、レクチャー・パフォーマンス、日本近代史への参照を含む回顧展として構成された*7。この広がりは、森村の写真が一枚の画像の中だけで完結しないことを示している。彼にとって写真は、変装した身体を保存するメディアであると同時に、展示空間、言葉、歴史、観客を含む演劇的な場を作るための中心装置である。

§ 04 / 04批評と写真史上の位置

引用の写真と、身体を使うアプロプリエーション

森村は、1980年代以降のアプロプリエーションやピクチャーズ世代と並べて読むことができる。ただし、同じ「既存イメージの利用」としてまとめると、森村の方法は見えにくくなる。森村自身も2018年のインタビューで、1985年から義眼、化粧、セットを使い、男性と女性、東と西といった分類を越えることを試みてきたと述べている*12。メトロポリタン美術館は、シンディ・シャーマン、リチャード・プリンス、シェリー・レヴィーンらが、映画の場面、広告写真、近代写真の名作を用いて、表象のコードを検討したと説明している*23。レヴィーンの《After Walker Evans》は、ウォーカー・エヴァンズの写真をカタログから再撮影し、作者性、オリジナリティ、真正性を問う作品としてポンピドゥー・センターでも整理されている*24。それに対して森村は、元画像を別の写真として写し直すだけではなく、画像の中の人物を自分の役として引き受ける。引用の中心が、写真の複製そのものから、身体、肌、性別、衣装、視線の位置へ移るのである。

シャーマンとの比較も、この違いを押さえると整理しやすい。MoMAはシャーマンについて、本人がモデルであっても《Untitled Film Stills》はセルフポートレートとは見なされず、女性像のステレオタイプをめぐる対話に自分を置いた作品だと説明している*18。一方、M+の二人展は、森村とシャーマンがともに仮装を用いてアイデンティティ、マスメディア、歴史の関係を探る作家でありながら、それぞれの文化的背景から名画、映画、大衆文化のイメージを作り直したと説明している*17。The Art Newspaperも、二人が制作初期から互いを意識していたわけではなく、森村が後に日本の雑誌を通してシャーマンを知ったと紹介している*19。そのため両者の関係は、影響の一本線よりも、1970年代末から1980年代にかけて写真が演技、映画、複製イメージを使ってアイデンティティを扱うようになった並行した動きとして捉える方が安全である。

また、森村はシャーマンだけでなく、デュシャンの変名と変装の問題とも関係づけて読まれてきた。MEMの展覧会テキストは、森村が1980年代にデュシャンの《Chocolate Grinder》や《Fresh Widow》をもとにした《Doublonage》シリーズを制作したことを紹介している*25。QAGOMAの解説も、《Doublonnage (Marcel)》を、マン・レイが撮影したデュシャンの女性人格ローズ・セラヴィのポーズを引き受ける作品として読み、森村の性別役割の反転や東西のイメージの緊張へつなげている*26。この文脈で見ると、森村の写真は、単に名画をまねた写真ではなく、既存のイメージの中で誰が作者になり、誰がモデルになり、誰が見る側に置かれるのかを、身体を使って組み替える試みとして位置づけられる。

制度的受容と国際的な再評価

森村の作品は、美術館、ギャラリー、国際展、写真コレクションを通じて受容されてきた。MoMAの作家ページは、森村を日本のアーティストとして登録し、《Ambiguous Beauty (Aimai-no-bi)》を所蔵作品として公開している*13。NGVの作家ページは、森村を大阪生まれの日本の作家として登録し、複数の所蔵作品を通じて彼の作品が国際的な美術館コレクションに入っていることを示している*14。また、日本国内では国立国際美術館、京都市京セラ美術館、Hara Museum、Artizon Museumなどが、森村のセルフポートレートを美術史、映画、近代日本、制度的コレクションとの対話として読み直してきた。Luhring AugustineのCVは、森村の個展、国際展、主要コレクションを一覧化しており、彼の作品が写真、美術、パフォーマンスの境界を横断して制度的に受容されてきたことを確認できる*11。この受容の広がりは、森村の作品が日本現代美術の一作家にとどまらず、ポストモダン以後の写真表現を考えるうえで参照される理由になっている。

写真史の中で何を変えたのか

森村が写真史の中で重要なのは、セルフポートレートを「私を写す」形式から、「私がどの歴史的イメージを引き受け、どこでその役から外れるのか」を見せる形式へ変えた点にある。Getty Museumの再演写真展は、森村を、写真によって美術史やアイデンティティを再訪する作家の一人として位置づけている*8。Japan Societyの「Ego Obscura」カタログ紹介も、森村の三十年以上にわたる制作を、グローバルな現代美術の中で再評価するものとして示している*15。森村の写真は、現実を記録するための写真でも、作者の内面をそのまま表す写真でもない。名画、映画スター、報道写真の人物像の中へ自分の身体を置くことで、写真がどのように歴史を信じさせ、どのように主体を作り、どのように見る者の欲望を組み立てるのかを見せる。だから森村の仕事は、写真の「撮る」行為を、見ること、演じること、引用すること、疑うことへ拡張した表現として位置づけられる。

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