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PHOTOGRAPHERS/YUKI ONODERA ·日本写真 ·UPDATED 2026.07
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§ None — Photographer Index — 日本写真

オノデラユキ

Yuki Onodera 1990s / 1990年代
Country日本 Period1990–2000s Channel写真史の論点 · 日本写真
Abstract

オノデラユキは、空に浮かぶ古着、カメラの中に入れたビー玉、二つの土地を別々に写すステレオカメラなど、作品ごとに撮影装置や暗室の工程を変えてきた写真家。《古着のポートレート》《真珠のつくり方》《Roma—Roma》を手がかりに、写真が現実をそのまま写すという感覚を、光、カメラ、移動、プリントの手仕事から問い直してきた。

この写真家が変えたこと

オノデラは、写真を被写体の選択とシャッターの一瞬だけで完結させない。カメラの内部に異物を入れ、二つのレンズを別々の土地で使い、撮影後のプリントに切断、フォトグラム、手彩色を加える。こうして写真家の意図だけでは決まらない偶然と、光学、化学、手仕事を同じ作品の中に取り込んだ。本人が探ってきたのは、世界を平面へ変える光学装置が本来持っていた奇妙さである*20。写真と現代美術が接近した1990年代以降も、カメラ、フィルム、印画紙、暗室の工程そのものを制作の中心に据え続けた

Keywords 撮影条件 暗箱 暗室 物質性 移動 コンセプチュアルアート
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目次 · Table of Contents
§ 01 / 04 背景と時代

オノデラユキは桑沢デザイン研究所でファッションを学び、アパレルメーカーでアクセサリーデザイナーとして働いた。市場や流行に左右される商業ファッションの仕事に違和感を持ち、表現する手段を探すなかで、身近にあった父のカメラを使い始めた。本人は、当初はカメラを絵筆のように使えると思っていたが、街を歩いて撮影し、自分で現像と白黒プリントを続けるうちに、「被写体を探しているだけ」のように感じて行き詰まったと振り返っている*17。そこで取り組んだのがコンストラクテッド・フォトだった。ここでいうコンストラクテッド・フォトは、見つけた被写体をその場で撮るのではなく、自分でオブジェや撮影状況を用意してから写す方法である。オノデラは自作のオブジェや、プラスチックを溶かして彩色した抽象的な造形物を撮影し、本人によれば米国のコンストラクテッド・フォトの潮流も意識していた*17。この試行の目的は、被写体を探し続ける行為から離れ、自分で撮影の出発点を作ることにあった。《君が走っているのだ。僕はダンボの耳で待つ》で第1回「写真新世紀」優秀賞を受賞した*12。初期作品には、窓枠、箱状の空間、円形など異なる像を重ねた構成が見られ、目の前から被写体を選ぶだけではない方法を早くから探していたことがわかる*1。1993年、自ら設営した初個展と詩人との共著が注目されたものの、その後の発表機会にはつながらず、同年パリへ拠点を移した*1。パリを選んだ理由について、本人は日本の外で活動する必要を感じ、商業性の強いアメリカより、多様な文化が交わるヨーロッパ、その中でも地理的・文化的な交差点と考えたパリを選んだと話している*16。移住後、当時のフランスでは写真と現代美術の双方で活動する作家が多く、現代美術の中で写真が新しい表現手段として活発に使われていることを知った*17。別のインタビューでは、その環境の中で自作がよりコンセプチュアルになり、作品の大きさも重要になったと振り返っている*19。1994年に《古着のポートレート》を制作し、翌年には《Liquid and Glass》《古着のポートレート》《Birds》からなる「Down」を東京の三会場で発表したことで、日本でも広く知られるようになった*8。オノデラは、写真と現代美術の距離が変わりつつあった時期に、カメラの構造、暗室、プリントの大きさまでを一つの制作過程として扱う方向を深めていった。後年、本人は、この時期の作品に見られる浮遊感について、定住先や所属を一つに固定しない自身の生活態度が反映されたのかもしれず、不安定でいる方が自分には自然だと振り返っている*24。パリ移住後の《Liquid and Glass》《古着のポートレート》《Birds》には、地面から切り離されたような状態が繰り返し現れる。

§ 02 / 04 表現の核心

なぜ写真なのか――写真が最初に持っていた「奇妙さ」

オノデラが写真を続ける理由は、写真という仕組み自体への関心にある。2013年の本人テキストで、作品がしばしば「奇妙」「謎めいた」と評されることに触れ、自分は奇妙な作品を意識して作っているのではなく、写真への接し方と写真の扱い方にある複雑な抵抗感が、結果としてそう見えるのだと書いている。現在は画像が大量に流通し、写真を見ることも作ることも日常化した。そこで彼女が振り返るのは、カメラという光学器械で世界を平面に定着させ、自分の姿を写真として見る経験が、写真の発明直後にはどれほど奇妙だったかという点である。本人は、この最初の「奇妙さ」を探ることが写真にこだわる理由の一つだと述べている*20。後の作品でも、カメラ内部にビー玉を入れ、二つのレンズを別々の土地で使うなど、見慣れた写真の仕組みをそのまま受け入れずに確かめ直す方法を選んでいる。

被写体を探すことから、撮影方法を考えることへ

初期の行き詰まりを経て、制作の中心は「何を撮るか」から「どのような条件で撮るか」へ移った。シリーズごとに異なる装置を使っている。《Camera》では向かい合わせた二台のカメラを使う*3。《真珠のつくり方》ではカメラ内部にビー玉を入れ、《Roma—Roma》では二眼のステレオカメラを別々の土地で使っている。本人は、作品の着想について、美術作品や映画から直接得るものではないと説明している。日常の中で気になり続けるものを長く考え、別のものとの結びつきを見つけたときに制作が始まる*9。古いステレオカメラを眺めながら、二つのレンズを別々の土地で露光したらどうなるかと考えたことが《Roma—Roma》につながったという例は、その考え方をよく示している。シリーズごとに異なる装置や手順を選ぶため、画面の姿も大きく変わる。東京都写真美術館は、オノデラの制作を、シャッターを切る前から加工や構築を重ねる、彫刻にも近い過程として紹介している*13。写真は撮影の瞬間だけで完成せず、装置を選ぶこと、カメラへ手を加えること、現像とプリントの方法を決めることまで含めて作られる。

写真の制約を残したまま、できることを広げる

オノデラは、写真の不自由さを制作の条件として受け入れている。本人は、画家が白いキャンバスから始めるのに対し、写真家は被写体がすでに持つ意味や現実とのつながりから逃れられないと話し、その中から何かを拾い上げるところに写真の面白さがあるとしている*17。カメラは絵筆のように自由には動かず、撮影者の意図だけで画面を決めることもできない。オノデラは、その制約を前提に、被写体、装置、光、偶然、暗室作業の関係を変えることで、写真に何ができるかを考えてきた。現代美術との関係について、本人は、美術側からは「写真」、写真側からは「現代美術」と見られる境界にいることを居心地よく感じ、そこには多くの可能性があると話している*9。ただし、写真界では形式が内容より重く扱われやすく、反対に作品を現代美術としてだけ提示すると、写真が数ある材料の一つに見えてしまう危険もあるという。そのため、自分を一方の領域に固定せず、少し距離を取りながら両方を見る。自作を写真と呼ぶ理由としては、写真史、カメラの構造、プリント技法、写真を取り巻く状況を作品が多く取り込んでいることを挙げている*9。現代美術の側から写真を見る経験によって、写真史や技法を別の位置から考えるようになった。

カメラの使い方から考え直す

2017年、マイケル・ルケンは《真珠のつくり方》のビー玉を、カメラが通常どおり働くことを妨げる異物として捉えた。彼は《Camera》《Roma—Roma》《Look Out the Window》などにも同じ姿勢を見て、オノデラがこうした方法を「反写真」と呼ぶと紹介している*21。ルケンのいう「反写真」は、写真そのものの否定を指さない。二つのレンズを別々の土地で使う。暗箱の内部に物を入れる。撮影後の印画紙へ別の光を当てる。カメラや暗室を通常の手順どおりに使わず、別の働きを引き出すことが作品の出発点になる。ルケンは、こうした過程では撮影行為そのものも作品の一部になると指摘している。前田英樹は2002年、身体も生活上の目的も持たない写真機の知覚と、人間の知覚の違いからオノデラを論じた。多くの写真家が機械の見え方を人間の視覚へ近づけようとするのに対し、オノデラは写真機が人間とは別の仕方で見る可能性を広げていると読む*26。《真珠のつくり方》では暗箱の内部にガラス球による別の光が生まれ、《Camera》では写真機が別の写真機を見る。この読解に立つと、オノデラの加工は、カメラを自分の目の代用品として使う習慣から離れる方法として見えてくる。

身体の動きを見ること――ダンス、映画、マイブリッジ

身体への関心には、ダンスと映画の経験が深く関わっている。本人は、ファッションの経験がそのまま身体表現へつながったという説明には距離を置き、1980〜90年代のウィリアム・フォーサイス、ピナ・バウシュによるダンスと映画から影響を受けたと話している*16。映画を見るときも物語だけでなく、登場人物の立ち方や歩き方に目が向いたという。この関心は《古着のポートレート》の見えない身体から、後年の《Muybridge’s Twist》へ続いている。《Muybridge’s Twist》では、エドワード・マイブリッジの連続写真を直接の発想源とし、複数の身体断片をコラージュして、連続する振付を一枚の静止画にまとめようとした*16。フォーサイスやバウシュのダンスは身体の動きへの関心を深め、マイブリッジの連続写真は《Muybridge’s Twist》の具体的な出発点になった。参照先は異なるが、どちらも写真の中で身体と動きをどう扱うかという関心につながっている。

撮影の外側で身体を働かせる

Lin Yeは2021年、カメラというブラックボックスが撮影者の身体を制作から見えにくくするからこそ、オノデラは撮影以外の工程に多くの行為を加えると論じた。自分で被写体を作る、場所を調べて移動する、コラージュする、一枚ずつ着彩する、紙を切る。こうした作業は仕上げの装飾ではなく、頭の中の発想を身体で確かめ、修正していく過程として位置づけられる*22。《Roma—Roma》では二つの土地を移動した記憶が手彩色に戻り、《11番目の指》では胸元のカメラによるノーファインダー撮影と、暗室で紙を切る作業が一つの作品に続いている。装置に任せて生まれた結果を、その後の手仕事で引き受けるところまでが一つの制作になっている。シャッターの瞬間だけに制作を集中させず、移動や記憶、暗室作業まで写真の工程に含めている。

偶然を受け入れ、最後は手で仕上げる

オノデラの作品には、具体的に考えられた手順と、作家にも完全には予測できない結果が同時にある。《真珠のつくり方》ではビー玉が暗箱の内部で光を乱し、《Roma—Roma》では撮影順が二つの土地の組み合わせを決める。《11番目の指》では、ノーファインダーで撮った人物の顔に、切り抜いた紙を使ったフォトグラムが重なる*6。こうした仕組みを決めても、どのような像が現れるかまでは完全に決めない。その余地が、予想外の像を生む。いっぽうで、撮影後は自ら大判の銀塩プリントを焼き、粒子を粗くし、油絵具で着彩し、紙を切るなど、強い手仕事を加える。近年のインタビューでも、作品と自分の身体が何らかの回路でつながることと、イメージを画面で見るだけでなく、作品を物質として出現させることを重視していると語っている*16。偶然に現れた像も、プリントの大きさ、粒子、色、表面を決める手作業の中で作品として整えられる。撮影時の選択を一部装置へ任せ、その結果を暗室と手作業で引き受ける。この二つの工程が同じ作品の中にある。

意味を決め切らず、方法を具体化する

オノデラは、制作前に意味を言葉で確定し、それを写真で説明する方法を取らない。本人は、技術的な発想、言葉、イメージ、概念が頭の中で混ざり、何年も経って別の発想と結びつくことがあると話している*9。別のインタビューでも、これから作るものを最初から明快にしすぎると作品が弱くなり、曖昧な状態の中から、少しずつ輪郭を持ち始めた要素へ進んでいくと説明している*17。発想は、カメラの構造、移動方法、暗室技法を調べるうちに具体的な手順へ変わっていく。そのうえで完成像だけは決め切らない。《Roma—Roma》の二眼カメラ、《真珠のつくり方》のビー玉のように、発想は具体的な装置や手順へ移されるが、そこから生まれる像には予測できない部分が残る。こうした制作方法によって、完成した画面にも一つの説明だけでは整理しにくい部分が残る。

§ 03 / 04 代表作・方法・媒体

《古着のポートレート》― 大きな歴史から一着ずつの衣服へ

1994年の《古着のポートレート》は、パリ移住後のオノデラが人間に関わる作品を作ろうとしたところから始まった。本人は、コンストラクテッド・フォトを経た後、もっと人間に寄り添う作品を考え、実際の人物ではなく衣服を選んだと話している*16。素材となったのは、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会「Dispersion」で、来場者が持ち帰ることのできた古着だった。ボルタンスキーが膨大な衣服の集積によって悲劇の大きさを示したのに対し、オノデラは一着ずつ広げて撮影し、大きな歴史の中に埋もれる個人の小さな歴史へ近づこうとした*16。モンマルトルの自宅の窓辺に衣服を針金で立たせ、肩や裾の形を整え、空と雲の状態を待って撮影した。床に置いて物体として見せる方法を避けたのは、衣服そのものより、そこに見えない身体を写したかったからだと後年述べている*16。全52点の衣服は、持ち主の名前も顔も示さないまま、一着ごとに異なる姿勢を持つ。空の明るさで輪郭が浮かび、布の内側が暗く沈むことで、人物の説明を加えなくても、かつて身体に触れていたものとして写る。SFMOMAにも複数点が所蔵されている*15。マイケル・ルケンは2017年、ボルタンスキーが衣服を集積したのに対し、オノデラが衣服を空中に一着ずつ立たせたことに注目した。彼はこの違いから、以前の持ち主や一般的な身体、衣服の文化を一着ごとに見直す行為を読み取っている*21

《Transvest》― 身体の内側に外の世界を入れる

2002年に始まった《Transvest》では、新聞や雑誌から切り抜いた人物の輪郭の内側に、街灯、建築、顕微鏡写真など既存の画像を細かく組み込み、強い逆光で撮影している。遠くからは一人の黒い身体に見えるが、近づくと異なる場所と尺度の像が内部に残り、一つの身体が外の世界を抱え込む画面になる。ダナ・フリース=ハンセンは、オノデラの作品全体を貫くものとして存在と不在の緊張に注目し、《Transvest》でも見える輪郭と見えにくい内部の双方が働くと論じた*29。中国の写真評論家、顧錚(Gu Zheng/グー・ジョン)は《古着のポートレート》を、衣服が失われた身体を記憶する容器と捉え、《Transvest》では反対に身体が世界を収める容器になると読んでいる*30。二つのシリーズを並べると、オノデラの身体表現は、人物の顔を写すことから離れ、身体が消えた後に残るものと、身体の内側へ入り込む外部の像を別々の方法で扱ってきたことがわかる。

《真珠のつくり方》― カメラの中に異物を入れる

2000–01年の《真珠のつくり方》は、フリーマーケットで見つけた箱型カメラの内部への好奇心から生まれた。ビー玉と真珠の作られ方について耳にした知識が結びつき、カメラの中に小さなガラス球を入れて撮る方法へ発展した*1。オノデラは昼間の街頭で群衆を撮影したが、ガラス球が暗箱の内部で光を集めて拡散するため、人々は暗闇に沈み、上部に白い球体が浮かぶ像が現れた*14。さらに現像時の薬品処理で粒子を極端に粗くし、縦二メートルを超える銀塩プリントへ拡大した。東京都写真美術館の展覧会資料は、拡大された粒子自体が画面の物質となり、群衆を暗闇から浮かび上がらせると説明している*10。題名は、貝の中に異物が入ることで真珠が作られる仕組みに由来する。カメラの中へ入れた小さな物体が、光学装置と現像処理の両方を通して、肉眼では見えなかった像を生み出す。カメラの内部で光が変化すること自体が、画面の構造を決めている。オノデラは2013年、このシリーズを、外の群衆と同時にカメラの存在そのものへ意識を向ける作品として説明している*20

《Roma—Roma》― 場所を選ぶ習慣から離れる

2004年の《Roma—Roma》では、写真家が場所や一枚を選ぶ習慣そのものが制作の題材になった。オノデラはステレオカメラの片方のレンズを塞いでスウェーデンのローマを108枚撮影し、フィルムを巻き戻した後、反対側のレンズでスペインのローマを同じフィルムに写した。二つの土地の組み合わせは撮影順で決まり、完成した108組を選別せず、すべてのモノクロ写真に油絵具で手彩色した*2。本人は、写真家なら通常は興味のある場所へ行くという選択をあえて退け、「移動」そのものに焦点を当てる方法を考えたと説明している*17。一方のレンズを一つの土地に、もう一方を別の土地に割り当てることで、撮影者の好みより、装置の構造と移動の順序が組み合わせを決める。撮影時には選択を減らす一方、完成後は全点をプリントして一枚ずつ着彩する。判断の場所を、シャッターの瞬間から制作全体へ広げた。2013年の本人テキストでは、《Roma—Roma》について、場所を記録するという写真の習慣をあえて外し、土地の名前だけを残すことで、撮影者自身を作品の中心から外す試みだったと説明している*20。エヴァンス・ヴェルディエは《Birds》《Watch Your Joint!》《Roma—Roma》を、静止画の中へ運動や異なる時間を持ち込む作品として読んだ*28。《Roma—Roma》では、シャッターが開いた瞬間だけでなく、二つの町の間の移動、フィルムを巻き戻す工程、記憶をもとにした着彩までが一組の像に重なっている。

《オルフェウスの下方へ》― 虚構を実際の移動に変える

2006年の《オルフェウスの下方へ》は、あるホテルで起きた未解決の失踪事件から始まった。事件から二年半後、オノデラは同じ部屋に滞在して撮影し、さらに17世紀の伝説を手がかりに、失踪地点の地球上の反対側まで移動した*27。ここでは、事実と虚構をつないだ仮説が撮影者の移動経路を決め、その移動自体が制作工程になる。《Roma—Roma》では同じ地名が経路を決め、《オルフェウスの下方へ》では事件と伝説の結びつきが経路を決める。オノデラにとって物語やルールは、完成した写真を説明するためだけでなく、通常なら選ばない場所へ自分の身体を運ぶためにも使われている。

《11番目の指》と大型プリント― 撮影後も続く制作

2006年の《11番目の指》では、街中の人物をノーファインダーで撮影した後、穴を切り抜いた紙を印画紙の上に置き、顔の部分へフォトグラムを重ねた。粗い写真粒子と、紙を切る手作業の輪郭が一枚の画面に残る*6。本人の制作ノートによれば、顔を覆う処理は、無断で撮影した人物の肖像権を考えたことから始まった。一般的なぼかしではなく、切り抜いた黒い紙を印画紙の上に置き、フォトグラムによって白い「影」を作った。平面的な白と粗い銀塩写真の質感を一枚に共存させることが狙いで、最大約二メートルの等身大プリントまで、すべてアナログの工程で制作された*25。題名について、LensCultureは、被写体の十本の指と撮影者がシャッターを押す一本の指による「未知の共同作業」という本人の説明を紹介している*23。顧錚は、顔を覆うことで、人物写真を見るとき真っ先に顔へ向かう視線が身体の姿勢や動作へ移される点に注目した*30。オノデラは撮影手順だけでなく、完成した写真のどこへ最初に目が向くかも変えている。オノデラの作品は《古着のポートレート》の115センチ四方、《真珠のつくり方》の210×150センチなど、大型の銀塩プリントとして制作されることが多い*10。東京都写真美術館の2010年回顧展も、カメラへの加工、コラージュ、コンピュータによる変形まで、シリーズごとに方法が変わることを展覧会の中心に置いた*10。大きさ、粒子、切断、着彩までを含めて見ると、撮影後もプリントの表面と展示空間へ制作が続いている。

§ 04 / 04 批評と位置づけ

「女の子写真」と同時代の、別の方向

1990年代の日本では、若い女性によるセルフポートレートや身近な日常の写真が注目され、「女の子写真」という呼称でまとめて語られた。J・ポール・ゲティ美術館はこの語を、論争を呼んだ還元的な呼称と説明し、2015年の「The Younger Generation」で、オノデラ、川内倫子、大塚千野、澤田知子、志賀理江子を、その呼称だけでは捉えきれない五人の多様な実践として紹介した*4。オノデラは写真新世紀の第1回受賞者として同じ1990年代初頭に登場したが、初期から私生活の直接的な記録やセルフポートレートを主題にせず、構成された像、カメラの構造、暗室、大型プリントへ関心を向けていた。若い女性作家が相次いで登場したという時代の変化は共有していても、その表現を一つの作風でまとめることはできない。パリへ移った後、オノデラは現代写真が現代美術の媒体として活発に提示される状況に触れ、自作がよりコンセプチュアルになり、作品の大きさも重要になったと振り返っている*19。それでも、写真史、カメラの構造、プリント技法を制作の内側に残し続けた*9。オノデラは、1990年代の女性写真家が台頭した時代と、写真と現代美術が接近していく流れの双方に接している。その中で、カメラの構造、暗室、物質性を中心に制作を進めてきた。2005年の東京都現代美術館「Life Actually」で、笠原美智子は《真珠のつくり方》を現代の人々の肖像、《Transvest》を複雑な現代人の肖像として論じた*31。女性作家を扱う展覧会の中でも、オノデラの作品は私生活の告白や一人称的な日常ではなく、群衆、匿名の身体、複数のイメージを抱えた人間の問題として読まれていた。

海外批評で広がった、装置・身体・時間の読み

海外批評では、オノデラの作品は装置、身体、時間など異なる側面から論じられてきた。エヴァンス・ヴェルディエは2005年、《真珠のつくり方》でカメラにビー玉を入れる方法を、ジョン・ケージのプリペアド・ピアノになぞらえた*28。これは影響関係の指摘ではなく、既存の装置へ異物を入れ、本来とは異なる働きを引き出す方法を説明するための批評的な比較である。Lin Yeは2021年、撮影以外に加えられる移動、工作、着彩、暗室作業を、身体を写真制作へ戻す行為として論じた*22。村上由鶴は2024年、初期作品に繰り返し現れる浮遊感と、オノデラ自身が語った不安定さへの親和性を結びつけている*24。これらの読みは方向が異なるが、オノデラの作品が発想だけで完結せず、カメラの構造、撮影者の移動、手作業、画面を見る順序まで含めて成立していることを示している。

異なるシリーズをつなぐもの

ポンピドゥー・センターのコレクションには《古着のポートレート》と《Look Out the Window》の複数作品が登録されている*7。SFMOMAには《古着のポートレート》《真珠のつくり方》《Look Out the Window》が所蔵されている*15。異なる時期と方法の作品が、国際的な美術館コレクションで継続して扱われてきた。シリーズごとの見た目は大きく異なるが、オノデラは画面のすべてを撮影者の判断だけで決めようとはしない。ビー玉は暗箱の中の光を変え、二眼カメラは二つの土地を組み合わせ、フォトグラムは暗室で新たな輪郭を生む。その後、プリントの大きさ、粒子、色、表面には自ら手を加える。作品には、現実の被写体、カメラ内部で起こる光学的な変化、化学処理、印画紙の表面が物理的な痕跡として残る。オノデラは、写真家の意図、被写体、装置、偶然、手仕事の関係を、作品ごとに変えてきた。方法が変わり続けても、写真がどのように像になり、撮影者がその過程のどこに関われるのかを具体的な制作工程から考える姿勢は続いている。近年作では、方法を銀塩写真だけに限定していない。2022年の《Here, No Balloon》では、自ら焼いた約二メートルの銀塩プリントにデジタルの2.5Dプリントを重ね、キャンバス上でコラージュしている*32。銀塩とデジタルを作品ごとに使い分け、必要な工程を組み合わせている。画像を再び物として扱う姿勢は、近年作にも続いている。

§ REL 関連する写真家・運動
関連する写真家
  • 杉本博司 ― 露光時間や撮影装置の条件そのものを作品の主題に据える点で、シリーズごとに暗箱やレンズを組み替えるオノデラの手続きと響き合う。
  • 石内都 ― 他者が身につけた衣服を撮ることで不在の身体を立ち上げる点において、《古着のポートレート》と主題を共有する。
  • ソフィ・カル ― あらかじめ定めた規則に沿って連作を組み立てる制作方法を共有する。ともにパリを拠点とする。
関連する運動
  • コンセプチュアルアート ― 戦後のドキュメンタリーとプロヴォーク系譜を超え、ルール駆動の連作と暗室介入で写真の手続きそのものを問うた。
§ REF さらに読む
写真集
『カメラキメラ』
オノデラユキ / 水声社 / 2002年

1994年から2001年までの9つの連作を収め、第28回木村伊兵衛写真賞を受賞した写真集。撮影装置と暗室の工程を作品ごとに組み替えた初期の仕事をまとめて追える。

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『オノデラユキ』
東京都写真美術館 / 淡交社 / 2010年

回顧展「オノデラユキ 写真の迷宮へ」に合わせて刊行された作品集。初期作から近作までの連作を一冊で通覧できる。

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『ELEVENTH FINGER』
オノデラユキ / art beat publishers / 2014年

《11番目の指》を軸にまとめた写真集。胸元のカメラによるノーファインダー撮影と、暗室で紙を切る作業が一つの作品として続く工程を追える。

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関連データベース・アーカイブ
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