ガートルード・ケーゼビア(Gertrude Käsebier)は、ピクトリアリズムと写真分離派を考えるうえで欠かせない写真家です。このページでは、ピクトリアリズムと写真分離派を手がかりに、写真史の流れの中での位置づけを、関連作家・運動・出典とあわせてたどります。
ケーゼビアが「人物写真とは伝記であれ——被写体の本質的な気質・魂・人間性を一枚の写真に引き出す」を信念としたのは、当時のニューヨーク商業写真スタジオが「技術的正確さ」の競争に終始していたからである*1。19世紀末の肖像写真は照明・ポーズを規格化した名刺判写真の延長であり、被写体の内面は記録の対象外だった。ケーゼビアはプラット・インスティチュートで絵画を学んだ経験から、「一枚の絵で何を省くかの識別眼こそが構図と感情を決定する」と考えており、この原則を肖像写真に持ち込んだ*2。彼女は撮影前に被写体と長時間を過ごし、「演出されていても真正に見える」効果を追求した。代表作「女たちの中に祝福された人よ」(1899年)では、詩人アグネス・リーと娘ペギーを二部屋の境の敷居に立たせ、壁の「受胎告知」版画と呼応させることで母から娘への世代の継承を聖書的文脈に置いた*3。プラチナプリントとゴム重クロム酸塩の操作によって、ガラス板ネガが持つ鮮鋭な細部を意図的に軟化させ、「絵画としての写真」を実現した*4。ケーゼビアが商業スタジオを経営しながら芸術的実践を貫いたのは、彼女自身の経済的自立への必要性でもあった。夫との不幸な結婚のなかで三人の子を育て、37歳でプラットに入学し、1897年にフィフス・アベニューに独立スタジオを開設した。スティーグリッツは彼女を「この国の肖像写真家として疑いなくリーダー」と評した*5。後の写真批評では、彼女の制作したジェンダー化されたイメージ——母性・聖性・「ヨーク(멍에)」をテーマとする作品——と私生活の乖離が、フェミニズムの視点から論じられている*6。