マン・レイ
ダダとシュルレアリスムの中心で活動したアメリカ生まれの作家。暗室での偶然と光の操作によるRayograph、ソラリゼーション、ファッション写真などを通じ、写真を記録装置か…
ダダの写真は、写真を現実の証拠や美しいプリントとして扱うのではなく、切断し、貼り合わせ、再配置し、印刷物の中で政治的に機能させる素材へ変えた。第一次世界大戦への幻滅から生まれた反芸術の運動として知られるが、写真史上で重要なのは、フォトモンタージュによって大量複製されたメディア画像を批判の武器へ転用したことである。写真の真実らしさは、ここで初めて大規模に分解された。
大量複製されたメディア画像を批判の武器へ転用した前衛運動。切断と再配置によって、写真の「本物らしさ」は批評の効果へと変換された。
ダダが露わにしたのは、写真の真実性が自動的なものではなく、編集と配置によっていくらでも組み替えられることである。これは後のシュルレアリスム、コンセプチュアルアート、ピクチャーズ世代へつながる大きな転換だった。
ダダは1916年のチューリヒから始まり、ベルリン、パリ、ニューヨークへ広がった。背景にあるのは、第一次世界大戦が近代文明の進歩神話を崩したことである。写真にとって転換的だったのは、新聞や雑誌から切り抜いたイメージを組み替えるフォトモンタージュである。マン・レイのような写真実験も重要であるが、ベルリンではハンナ・ヘッヒやハートフィールド、ハウスマンが大量印刷された顔、文字、機械部品を組み替えて、政治とメディアの言語を反転させた。*1
ダダの写真実践は、美術館の一枚物よりも、ポスター、雑誌、パンフレット、展覧会空間といった複合的な媒体の中で力を持った。印刷物に介入することで、写真は作品であると同時に宣言や攻撃文にもなる。ジョン・ハートフィールドの政治的フォトモンタージュが新聞やポスターの回路でファシズムを直接風刺したのに対し、マン・レイの実験は写真の物質的な不確かさを押し出した。*7
シュルレアリスムが夢や欲望へ向かったのに対し、ダダはまず切断と政治的風刺に向かった。レイオグラフや後のコンセプチュアルアートへ開いた回路も、この反芸術の身振りから読み直せる。*3