アルフレッド・スティーグリッツ
291ギャラリーと写真誌『カメラ・ワーク』を主宰し、写真を絵画と並ぶ芸術として美術館に送り込んだアメリカ近代写真の中核。「エクイヴァレンツ」では被写体ではなく形式そのもの…
写真分離派は、1902年にアルフレッド・スティーグリッツがニューヨークで組織した写真家集団で、写真を絵画と並ぶ芸術として美術館に送り込むことを目指した。雑誌『カメラ・ワーク』と291ギャラリーを媒体として、写真と近代美術の接点を作り出した制度的な拠点だった。
1902年にスティーグリッツが組織した写真家集団。『カメラ・ワーク』誌と291ギャラリーを媒体として写真を芸術として制度化。写真と近代美術の接点を作り出した。
写真分離派が重要なのは芸術性を主張したからだけでなく、その主張を制度として実装した点にある。雑誌・ギャラリー・批評の言葉・展示形式を組み合わせ「美術として見られる場」を整備した。
スティーグリッツが1902年に写真分離派を設立した背景には、カメラ・クラブ内での写真の扱いへの不満がある。技術的な巧みさが評価される展覧会文化に対し、芸術的な表現の質を問う場を作ろうとした。雑誌『カメラ・ワーク』は1903年の創刊から1917年の終刊まで、グラビア印刷による高品質な写真図版と批評テキストを組み合わせ、写真を芸術として議論する土台を作った。*1
291ギャラリーでは、写真だけでなくロダン、マティス、ピカソ、セザンヌなどの近代美術も展示された。写真が美術と等価であると主張するための戦略的な並置だった。ガートルード・ケーゼビア、エドワード・スタイケン、アルヴィン・コバーンらが中心的なメンバーとして関わる。*4
291ギャラリーと写真誌『カメラ・ワーク』を主宰し、写真を絵画と並ぶ芸術として美術館に送り込んだアメリカ近代写真の中核。「エクイヴァレンツ」では被写体ではなく形式そのもの…
ガートルード・ケーゼビアは、絵画を学んだ後に写真へ転じ、肖像写真にピクトリアリズムの光と構成を持ち込んだ写真家。スティーグリッツとともにフォト・セセッションを創設し、《祝…
スタイケンがピクトリアリズムに向かった出発点は、写真が絵画と同等の芸術的地位を得るためには「絵画のように見える」ことが最も有効な戦略だという判断だった。ルクセンブルク生ま…
ピクトリアリズムの叙情的な画面から都市の俯瞰へ、さらに鏡装置を使った抽象写真へと展開したイギリス・アメリカの写真家。1916〜17年の《Vortograph》シリーズは写…