リチャード・アヴェドン
リチャード・アヴェドンは、Harper's Bazaar、Vogue、The New Yorkerなどの誌面で、ファッション写真とポートレートを戦後アメリカの視覚文化へ押…
ステージド写真は、目の前で偶然起こる現実を待つのではなく、場面、光、人物配置、道具、時にはデジタル合成まで含めて状況を構成したうえで撮る写真である。演出された場面でも写真が強い現実感を持ってしまうことを逆手に取る実践だと言える。19世紀の寓意写真から現代美術の大画面作品まで系譜は長いものの、1980年代以降は現代美術と映画的表現の接点として特に重要になった。
写真の記録性を逆用し、演出と現実感を同時に操作する実践。写真が「あったように見せる強い装置」であることを最も意識的に使いながらその基盤を問い返す。
ステージド写真の本質は演出の多さではなく、演出が写真の真実性をどう揺らすかにある。作られた場面なのに、写真であるがゆえに現実の断片として信じてしまうという逆説が核心である。
1980年代以降のジェフ・ウォールやシンディ・シャーマン、グレゴリー・クリュードソン、フィリップ=ロルカ・ディコルシアの実践では、舞台設定や照明、演技、ポストプロダクションが、写真の「ありそうな現実」を作り出す。作られた場面なのに、写真であるがゆえに現実の断片として信じてしまうという逆説が核心である。*1
シンディ・シャーマンがセルフイメージとメディアの型をずらし、ジェフ・ウォールが光箱の大画面で都市の一場面を再構成し、グレゴリー・クリュードソンが映画の撮影隊のような規模で郊外の夜を作り込む。ステージド写真の差は「演出の多さ」では測れない。何を現実らしく見せ、その現実らしさをどこで疑わせるかがそれぞれ違う。*7
この流れはコンセプチュアルアートやピクチャーズ世代とも重なる。批判としては、演出の規模が大きくなるほど、作品が映画的スペクタクルや市場価値へ回収されやすいことが挙げられる。*9
だからこそステージド写真は、どれほど巧みに作られているかより、その巧みさが何を隠し何を露出するのかで読む必要がある。演出の度合いではなく、演出が写真の真実性をどう揺らすかが核心である。*11
コンセプチュアルアートが写真を手続きや記録へ開いたのに対し、ステージド写真は演出によって写真の真実性を問い直した。シネマトグラフィック写真やピクチャーズ世代と並べると、物語性と引用性の差が見えてくる。*12
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