ラースロー・モホイ=ナジ
バウハウスの教育とフォトグラム実験を通じ、写真を記録ではなく知覚を更新する装置として捉えたハンガリー生まれの芸術家・教育者。新しいヴィジョンの理論と実践を、写真、映画、デ…
バウハウスは、単独の写真流派というより、学校、印刷、広告、建築、舞台、デザイン教育が交差する場のなかで、写真の役割が大きく組み替えられた歴史を指す。モホリ=ナジが理論化した実験的な視覚だけでなく、ルチア・モホリが残した記録写真や出版物の流通まで含めて見ると、写真は作品制作の周辺ではなく、近代的な視覚文化そのものを組織する媒体になっていた。
学校・印刷・広告・建築・教育が交差する場で写真の役割が組み替えられた歴史。写真は作品の周辺ではなく、近代的な視覚文化を組織する媒体として機能した。
バウハウスで変わったのは、写真が「何を写すか」より「どう視覚を組織するか」を担う媒体になったことである。これは新しいヴィジョンの思想を教育制度の中で具体化したもので、後のデザイン教育、広告写真、映像教育にまで長く影響した。
1919年に創設されたバウハウスは、工芸と美術、教育と産業を結び直す学校だった。決定的だったのが1923年以後のモホリ=ナジである。彼は金属工房や予備課程を担当しながら、フォトグラム、急角度、ネガ反転、文字との組み合わせなどを通じて、写真を再現の道具ではなく、光の操作と空間認識の実験場として理論化した。*1
ルチア・モホリの役割も大きく、校舎や制作物、教員や学生の活動を記録した写真は、バウハウスそのものの自己像をつくりあげる。バウハウス写真の特色は、一枚の写真作品だけでなく、印刷物や展示、教育との接続にある。写真はタイポグラフィと並置され、ポスターや雑誌の中で機能し、近代的生活をどう見てどう設計するかという実践へ組み込まれた。*4