ベルント&ヒラ・ベッヒャー
ベルント(1931〜2007)とヒラ(1934〜2022)のベッヒャー夫妻はデュッセルドルフ芸術アカデミーで出会い、1959年から共同制作を開始した。20世紀後半に急速に…
デュッセルドルフ派は、ベルント&ヒラ・ベッヒャーの教育を起点に、戦後ドイツの産業風景、博物館、群衆、市場、建築を、大判プリントとシリーズによって分析的に見せる写真の潮流である。無表情な客観性として要約されがちであるが、その本質は、タイポロジー、展示スケール、現代美術市場、デジタル処理の導入を通じて、写真の制度そのものを変えたところにある。
ベッヒャー夫妻の教育を起点に、産業建築・都市・社会空間をシリーズと大判プリントで分析的に見せた潮流。現代美術市場とも深く結びつき写真の展示スケールを変えた。
デュッセルドルフ派が結び直したのは、ドキュメンタリー、コンセプチュアル、展示制度を一本の回路にまとめたことである。写真は記録か美術かという二者択一ではなく、構造的な視覚分析を行う美術として成立しうることが広く認知された。
この潮流の出発点は、ベッヒャー夫妻が1950年代末から続けた産業建築の系統的撮影にある。冷却塔、貯水塔、ガスタンク、巻上塔といった構造物を、正面に近い視点、曇天、均質な明るさで撮り、比較可能な単位へ揃えていく方法が基礎になった。その教育がデュッセルドルフ芸術アカデミーで制度化されると、グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトゥルートらの世代が現れる。*1
重要なのは、記録的な無表情さがそのまま価値なのではなく、シリーズ化や大判化によって写真が分析的な見方を要求することである。また、デュッセルドルフ派はタイポロジー写真や新即物主義の延長にありながら、現代美術市場と深く結びついた点が決定的である。*4
同時に、デュッセルドルフ派の作品はグローバル資本主義の視覚とも結びつく。批判としては、冷静さや規格化が世界の暴力や不平等を見えにくくすること、巨大なプリントが市場価値と過度に結びつくことが挙げられる。さらに、デジタル処理が大判プリントの内部へ入り込んだことで、「冷静な客観性」が実際にはどこまで加工された構成なのかという問題も前景化した。*10
それでもデュッセルドルフ派は、タイポロジー写真を戦後の現代美術へ接続し、写真の展示スケールと批評言語を大きく変えた。大判カラー写真やコンセプチュアルアートとの重なりを見ると、その位置づけがいっそう明確になる。*9
タイポロジー写真が比較と反復の方法を支え、新即物主義が明晰さの美学を先取りしていた。デュッセルドルフ派はそれを大判カラー写真やコンセプチュアルアートの制度へつなげた戦後の形として読むとわかりやすくなる。*12
ベルント(1931〜2007)とヒラ(1934〜2022)のベッヒャー夫妻はデュッセルドルフ芸術アカデミーで出会い、1959年から共同制作を開始した。20世紀後半に急速に…
1955年ライプツィヒ生まれのグルスキーは、写真家の父・祖父のもとで育ち、フォルクヴァング芸術大学でオットー・シュタイネルトに学んだ後、デュッセルドルフ芸術アカデミーでベ…