ドキュメンタリーは、写真史の流れを考えるうえで重要な表現のひとつです。現実の出来事・社会・人々を記録することを目的とした写真表現。このページでは、関係する写真家や時代の流れをたどります。
マルヴィルは19世紀前半から挿絵画家・銅版画家として活動していたが、写真技術の登場後に転身した。
詳細を読むフェントンは1853年に英国王立写真協会(ロイヤル・フォトグラフィック・ソサエティ)の設立に中心的役割を果たした弁護士出身の写真家だった。
詳細を読むアレクサンダー・ガードナーは1821年にスコットランドのグラスゴー近郊に生まれた。1856年頃に渡米し、マシュー・ブレイディのワシントンD.C.スタジオの管理者となった。
詳細を読むニューヨーク出身のブレイディは1840年代から大統領を含む著名人の肖像写真で名声を築き、アメリカ最高の肖像写真家と呼ばれた。
詳細を読むグラスゴーでは19世紀中頃からコレラ・腸チフスが繰り返し流行し、当局はその温床を旧市街の密集路地「クローズ」に求めた。
詳細を読むヴェネツィア生まれでイギリスに帰化したベアトは、1855年のクリミア戦争取材を皮切りに英仏軍が展開する場所へと同行し続けた写真家だった。
詳細を読む冨重利平(本姓・篠倉、1837〜1922年)は、九州における明治写真史の最重要人物の一人である。
詳細を読むティモシー・オサリヴァンは1840年頃にアイルランドに生まれ、幼児期に家族とともにニューヨークへ移住したと推定されている。
詳細を読むデンマーク出身のリースは1870年にアメリカへ移民し、自身も極貧・失業・路上生活を経験した後に記者へと転じた。
詳細を読むエマーソンがスタジオ演出を「不正直」と批判し、単一ネガ・単一露光による写真を芸術の条件とした根拠は、ドイツの生理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの視覚生理学にあった。
詳細を読むアジェがカメラを手にしたのは1897年頃、40歳のときだった。
詳細を読む亀井茲明(1858–1896)は日本の公家・伯爵で、日清戦争(1894–95)の記録写真事業を組織した人物として写真史に名を残す。
詳細を読む鳥居龍蔵(1870–1953)は日本の人類学者・考古学者で、北海道・台湾・沖縄・朝鮮・満洲・モンゴル・中国西南部・後に南米にわたる広範なフィールドワークに写真を体系的に活用した。
詳細を読むポール・ジェニオー(Paul Géniaux、1873–1930)はレンヌ生まれのフランス人写真家で、小説家・詩人・画家でもあった兄シャルル(1870–1931)とともに「ジェニオー兄弟(Géniaux frères)」として活動した。
詳細を読むルイス・ハインの写真実践は、視覚メディアを社会変革の証拠として体系的に用いた最初の試みのひとつである。
詳細を読むポール・ストランドが写真の転換を遂げた背景には、1907年にルイス・ハインに連れられて初めて訪れたギャラリー291での体験がある。
詳細を読むアンドレ・ケルテス(André Kertész、1894–1985)はブダペスト生まれ。ハンガリーで撮影を始め、1920年代半ばにパリへ移住、1936年にニューヨークへ渡り後半生をアメリカで送った。
詳細を読むドロシア・ラングはサンフランシスコで商業ポートレートスタジオを経営していたが、1932年の大恐慌の絶頂期に、スタジオの窓から路上の失業者行列を見て外に飛び出したことがドキュメンタリー写真への転換点となった。
詳細を読むウォーカー・エヴァンズはFSA(農業安定局)のために1935–37年に南部を中心に農村の貧困を記録したが、同局の本来の使命——ニューディール政策宣伝のための写真提供——に対して意図的に距離を置いた。
詳細を読むジョージ・ロジャー(1908–1995)はイギリスの写真家。第二次世界大戦の従軍写真家として活動し、戦後はアフリカを中心に長期ドキュメント写真を展開した。マグナム・フォトスの創設メンバーのひとりである。
詳細を読むウィリアム・ヴァンディヴァート(1912–1989)はアメリカの写真家。「Life」誌のスタッフ写真家として活動し、マグナム・フォトスの創設メンバーのひとりである。
詳細を読むダイアン・アーバスは1923年ニューヨーク生まれ。父が5番街の高級毛皮・百貨店「ラセックス」を経営する裕福なユダヤ系家庭に育ち、大恐慌の影すら届かない隔絶した環境の中で過ごした。
詳細を読むロバート・フランクはスイス・ユダヤ系家庭にチューリッヒで生まれ、1947年にニューヨークへ移住してハーパーズ・バザーのファッション写真家として働き始めた。
詳細を読むガリー・ウィノグランドはニューヨーク・ブロンクス生まれで、1950年代に雑誌のフリーランス写真家としてキャリアを始め、35mmライカカメラを常に携帯して街頭での速写を続けた。
詳細を読むリー・フリードランダーはワシントン州アバディーン生まれで、1953年からロサンゼルスのアート・センター・スクールで写真を学び、1956年からニューヨークを拠点にエスクァイア・スポーツ・イラストレイテッドなど雑誌の仕事を手がけた。
詳細を読む1935年ロンドン生まれのフォトジャーナリスト。キプロス、ビアフラ、ベトナム、カンボジア、北アイルランドなど世界各地の紛争地帯を取材し、戦後フォトジャーナリズムを代表する写真家となった。
詳細を読む1936年ウェールズ生まれ、2008年没。
詳細を読むウィリアム・エグルストンは1939年テネシー州メンフィス生まれ。1960年代から35mmのカラーフィルムで撮影を始め、1976年にMoMAでジョン・ザルコウスキーの企画により「ウィリアム・エグルストン・ガイド」展を開催した。
詳細を読むアーネスト・コール(1940-1990)は、南アフリカのアパルトヘイト体制を内部から撮影し、写真集『House of Bondage』(1967年)によって世界に告発した写真家である。
詳細を読む1944年ブラジル・ミナスジェライス州生まれのサルガドは、経済学の博士課程修了後に世界銀行のエコノミストとして赴任したアフリカで写真と出会い、「数字やレポートでは伝わらない人間の苦しみを写真で見せることができる」という確信から1973年にキャリアを転換した。
詳細を読む1946年マン島生まれ、2020年没。1970〜80年代のイングランド北東部——タインサイドの造船所・炭鉱・失業した工業地帯——を長期にわたって記録した。
詳細を読む1952年イングランド・サリー州生まれのパーは、マンチェスター工科大学で写真を学んだ後、北イングランドの衰退するコミュニティを撮り続け、1983〜85年の夏にマージーサイドの労働者階級が集うシーサイドリゾート・ニュー・ブライトンを取材した。
詳細を読む1953年にワシントンDCで生まれたゴールディンは、11歳で姉バーバラを自殺で失った経験から「写真は愛する人を失う前に記録し続けることができる」という確信を抱き、16歳でカメラを手にした。
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